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家、全焼その②

2011年05月22日 07:54

始めに、皆さまから励ましのお言葉を戴きまして、本当にありがとうございました。

5/15からまもなく1週間がたとうとしています。ようやく落ち着いた時間を過ごせるようになりました。気持ちの整理をし、今の現状考えつつ書きたいと思います。長文になりますので、お見苦しいかもしれません、ご了承ください。


火事当日。午後4時に、私はその日分の田植えが終わり、私は嫁と息子と一緒に、近くの息子の同級生の家へ散歩に行く。

父は田植えのオペレーターだけを依頼されていたところへ田植えに行っていた。

当時、家には祖母と祖父、そして親戚のおじさんが居た。親戚のおじさんは洗濯を、祖父は水稲の苗の水遣りを、祖母は家の中に居た。
第一発見者は祖父。祖父が大声で叫ぶ。その後おじさんが119番へ通報。

程なくパトカー到着。たまたまパトカーがこのあたりを巡回中で、黒い煙りを見て、見に行ったところ、車庫の外が燃えていたという。

4:39、私が父へ火事の連絡。5分後父到着。その間に私が家の中にいた祖母を玄関から外へ逃がす。そのあと1.5tトラックと自分の車を逃がす。

祖母を逃がした際、祖母の事を私が誰かに託したらしいのだが、私にはその記憶が定かではない。それほど慌てふためいていた。でも確かに祖母の事を家の中から逃がした記憶はある。

祖父は燃えている車庫から、私の嫁の車と祖父の車を逃がす。燃えていたのが車庫なので、この2台を逃がす為に祖父は右耳に軽い火傷を負った。

父は小屋に入っていた軽トラとフォークリフトを逃がす。フォークリフトを逃がす際、右腕に肘から手首まで火傷を負う。

1台目の消防車が到着。この地域の消防団の方々。放水を開始した。放水した時にはすでに車庫から母屋に火がうつりかけていた。

まだ座敷のあたりには火がまわっていなかったので、周りの家の方々が、座敷からモノを外へ運び出す。同時に近くにタイヤがあったので、燃えてはマズいと思い、皆さんで手分けしてタイヤを運ぶ。

タイヤを運んでいた際、発電機が目に留まる。かなり大きい発電機で、これをなんとか動かせないかと考えたが、とても人一人の力ではどうする事もできず、発電機は断念した。今思えば、押してでもいいから、転ばしておけば、火がうつらなかったのではないかと思う。


それから、どんどん消防車が来るのだが、道が分からなかったり、道が狭くて通りにくかったりと悪条件が重なる。そのため消防車が放水を始めるのに非常に時間がかかった。結果的には消防車は約10台前後来ていたと思う。

放水した水が庭に多量になり、水が庭に溜まりっぱなしになる為、小さいショベルカーにて、排水用の導線を作る。この頃には、人がたくさんいて、なかなか思うように導線を掘る作業が進まなかった。

消防団や消防士の方々が消火活動を行っている間、何枚か写真を撮る。この記録をどうしてでも残しておきたかったからだ。


10台前後の消防車にて消火活動を行い、約2時間かかり、鎮火。鎮火した頃には母屋は全焼。小屋も半焼程度になっていた。

素人の私が言うのもなんだが、火に直接放水するのではなく、火元に放水するべきではないのか?とずっと思っていた。だが現場はモノ言える状況ではなく、ただただ静観するばかりであった。

2時間の間に、祖父は火傷の為、一度病院へ。父も祖父以上の火傷を負ったのだが、その日は病院に行かなかった。それほど気が張っていたのだと思う。

鎮火しても、まだ消防の方々は残り、確認や撤収の作業をしていた。

皆さんが帰り始めたのはだいたい19時頃。あっという間の出来事でした。

嫁は近くの友人宅へ避難していた。祖母も近くのお宅へ避難をしていた。

嫁の無事を確認し、祖母のところへ。そこでは祖父も控えていた。

祖父と祖母がお世話になっている家では、炊き出しが行われていた。と同時に、「継枝家本部」と書かれた看板が掲げられていた。

まだ鎮火して間もないのに、たくさんの方からお見舞いをいただいた。見ているだけで涙が出そうになった。

その後妹夫婦が到着。妹が祖母と抱き合って泣いていたのは、今でも思い出す。
その後妹の旦那さんが祖母の事をおんぶし、私の分家のところへ行く。

分家の家には、すでに私達の服が、届けられていた。
また、私の息子の服など、皆さんから紙おむつ、服、お尻拭きなど、生きてくうえで必要なものを届けてくれた。それこそ、東日本大震災並の物資が届けられ、戴く事ができた。

およそ落ち着いたのは、だいたい22時頃。分家の座敷で私と息子と嫁の3人がお世話になることになった。
なんだかんだやっていたら0時ぐらいまで時間は進んでいた。



これが当日の簡単な行動でした。

最初、私が見つけた時には、火は消し止められるんじゃないか?と思っていたのだが、現実はそうもいかなかった。消防の方々がいくら放水しても、なかなか消し止められず、それこそ焼け石に水状態であった。

その日は、現実を受け入れられなかったのか、まだ実感が湧かなかった。本当に自分の家でおきた出来事だったのか…と。

たまたま分家の家に遊びに行き、泊まっているのかとも思った。

おそらく、これからそういった実感が湧いてくるのだろう。

「何もない」という現実を。
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